スパンティークへの道( 現地編 )
今回初めて海外遠征に参加して日本の山では得る事が出来ない色々な経験が出来たと思う。
日本では長くても4泊5日程度の山しか経験した事がなかったので27日間という長い期間山と
対峙 した事は貴重な体験だった。
さて今回の記録を書くにあたって隊長の事を書くとどうしても愚痴っぽくなってしまい、読む方に
不快感 を与えてしまいそうなのでなるべく避けるつもりです。
その分写真を多く載せますのでカラコルム ヒマラヤの山々を楽しんで頂けたらと思います。
でも本当にあった事は書くしかないかな・・・
ノーザンエリアの概要は下の地図をご参照下さい。チョゴルンマ氷河はバルトロ氷河の反対側に
有り、フンザの南側に位置します。
記録をご覧になった感想などを掲示板、メールで書いて下さると嬉しいです。
トレッキングマップ
アランドゥからの地図
2002/07/29 成田 → 北京→ラホール → イスラマバード
飛行機は14:00発なので普通なら12:00頃集合で良いのだが遠征荷物の荷造りをしなければ
ならない為10:00集合となった。PIAの受付近くで食料、テント等を梱包し重量オーバーの分は
機内持込みにした。背中にはザック、両手には遠征荷物といった格好。
機内に入ろうとした時余りの荷物の多さにストップがかかり幾つかの荷物は荷物室行きになった。
これがイスラマバードに着いた時にひと騒動の原因になったのだが。
成田14:25発北京に18:10着19:00発とここまでは順調だったが何故か1時間も早くイスラマ
バードに到着したと思ったらなんとそこはラホール空港、イスラマが大雨で空港閉鎖になっている
という。いつ出発するか判らない冷房も止まった暑い機内の中で待つ事1時間20分、やっと離陸し
23:20イスラマ着。さぁ後は荷物を受け取ってホテルに直行して寝るだけとターンテーブルの所で
荷物を待っていたが受付に預けた荷物は出てきたのだが後から預けた荷物が一向に現れない。
その内ターンテーブルも止まってしまい人も皆いなくなってしまった。
隊長が荷物の半券を持っていた●さんに荷物が間違いなくイスラマで降りるか確認したかとの問い
にNOとの答えでいきなり怒鳴り始めた。確認しないと下手をするとカラチまで荷物が行ってしまい
遠征が出来なくなるとの事だったが、そんな事なら降りる前に●さんに注意すれば良い訳だ。
すったもんだで係員を問い詰めてやっとの事で荷物は出てきたのだが、いきなり怒鳴られて●さん
もびっくりしたに違いない。それも荷物が出てくる迄怒りっ放しだったのだから。
しかしこれだけじゃ済まなかったんだなぁ、この隊長さん・・・
空港から出ると雨上がりだからかも知れないがラーワルピンディは湿度が高くて兎に角蒸し暑かった。
これがパキスタンの新聞だ 1 2 2はパキスタンの美女
2002/07/30 イスラマバードで入山準備
庶民の足 ミニバスのスズキ
入山準備と言っても隊長が登山届を提出したり、エージェントとの打ち合わせに行くだけで我々は
それに同行するだけだった。まずPIAオフィスでスカルドゥ行きの飛行機が飛ぶかも知れないとの
事でガイドのサルワル氏が席の順番待ちをすることに(スカルドゥ行きの飛行機は天候の関係で
飛ぶ回数が少ない)、その間にエージェントに行って打ち合わせをしてブリーフィリング終了。
リエゾンオフィサー(監督官)で20歳の学生イムラン氏(あだ名→お子ちゃま) はBCまで同行して
下山までBCに滞在することになる。(登山中の自然破壊、ゴミの処理とかの監視がお仕事らしい)
午後は日本大使館に届出をし、両替屋、郵便局に行き最後に又エージェントに出向き全ての料金
を支払って完了(ポーターの支払いだけは現地払い)。
飛行機の席も取れて明日飛べば乗れることになった。
しかし昼間のイスラマバードの暑さといったら並大抵ではなくて、日差しがジリジリと肌を焼く感じが
する。更に湿度が加わってまともに外には立っていられないという感じだった。
さて明日はいよいよトレッキング基地のスカルドゥ入りだ。